かけがえのない家族の一員でした。
2017年5月31日の夜9時前に、アメショーのマロさんは天国へと旅立ちました。
推定ですが、享年18歳でした。
最後は苦しかったと思いますが、マロさんは長年体調不良で苦しんでいましたので、やっと苦しみから解放されて、今頃はあちらで楽しく飛び回っているのではないかと、そう思っています。
寂しがり屋のマロさんでしたので、ちょっぴり寂しい思いをしているかもしれませんが、時間も空間も超越した世界では人間世界の20年、30年など瞬く間の事なので、もうちょっと待っててね!マロにゃん。
その時は一緒に、一体になって、僕らが生まれてきた場所に帰りましょう。
昔はこんなにフッサフサだったんですよ。
ちょうど9年前の写真ですから、まだ10歳になる前ですね。
この頃はモッフモフでしたねぇ。
「正直スマンかった…」的な。
ちょっとワルっぽいマロさん。
ドヤァーー!というよりも、フラッシュが眩しかったんでしょうね。
この頃は猫ちゃんにフラッシュ当てたら駄目だって知らなかったんです。
ごめんね、マロにゃん。
プニプニとしたおててがたまりまへん。
触りまくって、よくマロさんにキレまくられたもんです。
おすましマロにゃんです。
ぬいぐるみみたいでしょ?
このブンムクレた感じが、何とも可愛らしかったです。
最近は寝てばかりでした。
今年の正月のマロにゃんです。
まだ生気がありました。
毛並みも悪くなっちゃいましたが、マロにゃんも体調が芳しくなくてしんどかったでしょうね。
でも、まだまだ一緒に暮らせるものと思ってたんです。
おねだり中のマロにゃんです。
年老いてもエサへの執着は凄いものがありました。
早くあちらでマロにゃんに逢いたいもんです。
思いっきりモフモフさせてもらいます。
あちらでは先立った猫さん達や、お母にゃん、お父にゃんに、もう逢えましたか?
今生の別れとなりました。
5月31日に亡くなったマロさんを、6月2日にお見送りしてまいりました。
最後はしんどかったでしょうが、安らかな死に顔だったと思います。
疲れたでしょう。
ゆっくり休んでね。
うちの子になってくれて、本当にありがとう。
一緒に暮らしてきて、楽しかった思い出がたくさんありました。
僕が辛い時も、なんとなく察して寄り添ってくれましたね。
マロさん、いままで本当にありがとう。
マロさんは大自然に帰っていきました。
出会いがあれば、別れの時も必ず訪れるものなんですね。
分かってはいたつもりですが…
人は、猫は、生き物は死んだらどこに行くのでしょう?
唯物論的には全てが無に帰すことになるのでしょうが、僕には人間の英知が及ばない高次元の世界があって、この世はその投影にすぎないような気がするんです。
生きとし生ける者たちは全て根底でつながっていて、大いなる唯一絶対の存在から、その一部分として顕現しているものが、生き物の自我、アイデンティティーなのではないか?
何の根拠もありませんが、それが真理ではないかと思っています。
もしそうなら、皆は同じところから生まれてきた兄弟です。
いがみ合ったり、憎しみあったり、傷つけあったりすることは本当に愚かなことで、お互いに慈しみ、愛し合い、助け合うことが大自然の摂理にかなっているのではないでしょうか。
だからマロさんとも、ずうっと永遠に繋がっていると、僕はそう思っています。
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